評論家としての漱石の言葉に触れる。【私の読書記録Vol.17】

 

「漱石文明論集(岩波文庫 三好行雄編)」という本を読みました。明治後期の夏目漱石の講演の記録や日記、書簡などを国文学者の三好行雄がまとめたものです。私は坊ちゃんから始まり、三四郎、それから、こころ、吾輩は猫である・・・などなど小説家としての夏目漱石の作品は多く読んできたのですが、この本で評論家としての夏目漱石の言葉に触れ、特に「現代日本の開化(明治44年に和歌山で行われた講演の記録)」で色々なことを考えさせられました。

 

明治維新がおこり西洋からの外発的な開化が流れ込んできた当時のニッポンは、和洋折衷、というか、うまく落としどころをつけて外から入ってきたものを自分たちのものにしていったんだろうと、文化や人々の生活のことについてそんな側面ばかりが私の頭の中にあったのですが、「コスパやタイパの追求」から生まれる発明や娯楽が開化を進めれば進めるほど、競争がどんどん激しくなって人々のくらしは苦しくなっていくばっかりだ、というようなことを講演の中で漱石は話していて、なんだかこの時代から今も本質的なことはずっと変わってないんじゃないかなあ、という気持ちになりました。

 

漱石の時代認識は、例えば「三四郎」で三四郎と広田先生の列車のシーン(富士山についての会話)などでもその一端を触れることができますが、本書はより深く、当時の生の言葉で味わうことができるイイ本です。気になった方は下記のリンクからどうぞ。

 

漱石文明論集 (岩波文庫) → Amazon商品ページ

 

 

 

 

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